2022年8月

 生きることは、心がつくる物語である。こうやって書くことは、僕の人生を具体的に物語化することだと思う。変わらないことがあるとすれば、変わることが変わらないことだ。両手を広げて受け入れる変化もあり、そうでないのもある。他人と僕の思想や生活等、万物は流転していく。変わらないことは歯磨きの習慣ぐらいだ。だからこそ、こうやって書き留めることは、人生を意味付けるのに役立つ。カメラで写真を撮るかのように。

 最近は夏季のSADぽくややなっていた。これは自己診断であるけど。冬季SADの療法と逆のことをすると良いらしい、とググってみてわかったので、した結果、見事に良くなった。なんだか陰陽の均衡をとるようで、人体の神秘を感じた。

 お酒をやめた。1ヶ月くらい経った。お酒を飲む引き金がわかれば、簡単だった。僕の場合「退屈」みたいである。

 S・ピンカー『人はどこまで合理的か (Rationality)』を読み進める。いずれ批評を書きたいな、と思う。が、理解が追いつかないところもあるし、個人的には面白みに欠けるな、と思う箇所もある。理性とは面白みが出るまで、複雑なことを理解せんとする心である、と僕なりに、勝手に、定義した。理性とは、理由の理であり、理想の理であり、理解の理である。一方で、モームOf Human Bondageの新訳がでており、邦題も『人間のしがらみ』と適切になっていると思う。この小説でモームはbondageつまり「絆」と「しがらみ」を、通俗的に、痛快に書ききっている。何度読んでも、面白い、なかなか巡り会えない小説である。ところで、僕の人生を振り返ってみると、「絆」と「しがらみ」両方あったが、最近は「しがらみ」系の出来事があり、気が滅入っていた。しかし、数日経つと、どうでもよくなり、「なぜあんなにアドレナリン・ノルアドレナリンがでてたんだろう?」と不思議に思う。これは僕の長所かもしれない。