最高善とは何か

 最高善とは何かを近頃考える。アリストテレス曰わく、のことではなく、自己にとっての、及び他者にとっての最高善である。換言すれば、今日、人間は究極的に何を目的としているか、ということである。結論をいうと「幸福と意味」である。「幸福(意味)」といってもいいかもしれない。我々が日々行い動くのは、幸福と意味を目指さんとする為である。読者諸賢の日々の活動を振り返り、最終的に何を目指しているか思索されたい。例えば、歯を磨くのも、食事も、仕事も、勉強も、誰かを好きになることも、身を休めることも、最終的には幸福と意味に辿り着かないだろうか。大工が家の完成を目指すように、人間は幸福と意味に向かっている。

 以上は、結局アリストテレスと同じような結論になった。流石は希代の先哲である。以上のことが真だとすると、次の問いが出てくる。それは「人間は幸福と意味という目的ではなく、それに至る手段が目的となってはいないか」ということである。例えば、勉強において、幸福になることが目的なのに、勉強自体が目的となっている場合が見受けられる。勉強意欲が出ない人というのは、それが社会あるいは自己にとって、どう繋がり、どう幸福に繋がるのかというのが判然としない為である。

 一方で幸福と意味といっても多様であり、質の高低もあるのは相違ない。ただ、抽象的にいえば、幸福と意味が人間にとって最高善であると、暫定的に僕は考えている。