ガムを噛みながら大学に行っていた

 僕は、友人と遊びに行くとか自発的・自己決定寄りなことを除いて、外発的なことはしばしば億劫になる人間である。この億劫さは誰しも経験したことがあるのではなかろうか。例えば、タイトルにもある通り大学の講義に行くとか、何のために外に出て時間を取られる必要があるのかわからない事務用などだ。習慣とか惰性の力でできることもあるのだが、そうなるまでだったり、そうならなかった用は怠い。

 特に大学という場所は大教室で大勢人がいるところまで通わなければならなかった。僕は集団心理が働くところが苦手なので、3年くらいになるまで慣れなかった。インターネットなどITがこんなに発達している今日でなんでこんなことしなきゃならないんだと毎回イヤな気分になっていた(逆に少人数の講義は好きだった)。今考えれば、だけど通信制大学に通えばよかったかもしれない。でも、学問との出会い、人との出会い、価値観との出会いなど色々宝物があったので、過去のことをウダウダ考えても不毛だ

 そのため、毎日のようにガムを噛んで通っていた。ガムという菓子が社会から廃れないのは、口臭予防というよりかは、緊張を緩和したかったり、ガムを噛むことでリズムをつけ、物事に向かう動機づけに用いられることが殆どなのではなかろうか。

 ところで、カントという哲学者が昔ドイツ(カントが住んでいた地域は現在ではロシア)にいたのだが、彼は毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に講義し(カントは大学教授だった)、同じ時間に散歩したりして規則正しい生活を送っていたそうだ。彼はだるいとか外出前に緊張したりしなかったのだろうか。「定言命法」っていう倫理概念を生み出した人だけにそういったのとは無縁なのだろうか。

カントは、思想から鑑みるに「自己を律して自由になれ!」と考えていたに違いない。だが、自己を律しえない状況の方が世界には多いのではなかろうか。実際、カントだって下男を雇って朝起こしてもらってたワケでしょ?(当時は目覚まし時計がなかったから仕方ないのかも)

 色々書いたが、大学の大教室で授業を受けたくないとか、集団心理を感じ取とって、不愉快な気分になるという方が、もしいるとすれば、あなただけじゃないよと僕は伝えたい。