みんな、もっと休もうよ

みんな、もっと休もう。人生は短いんだから。

24時間営業なんてしなくていい。週5日も働かなくていい。不便になってもいい。各々が各々の時間をたっぷり持っていることが豊かさなのだ。銀行の預金残高では決してない。お金は無制限に増殖するが、あなたに残された時間は有限なのだ。

なぜあなたは明日も健康だとわかるのだろうか? いつ病気になって身体が思い通りにならなくなるか、わからない。なぜあなたは大事な人が明日もいるのだとわかるのだろうか? いつあなたの大事な人がいなくなってしまうか、わからない。そして、いつ死ぬのかも。あなたは本当に80歳くらいまで生きているつもりなのだろうか? なぜ80歳くらいまで生きていると、わかるのだろうか。未来のことなんてどんなに統計を用いようと、どんなに科学が発展しようと、わかりっこないのだ。人間の思考には限界があるのだ。

経済成長だとかこれからのことだとか、そんなのは個々人の有限たる生に比べればアリとかダニみたいなものだ。資本主義社会てのは不要な労働を生み出し続ける(現存の労働のうちの7割くらいは不要な労働だが、例示は避ける。読者諸賢の想像力に任せよう)。だが、本当に必要な労働に限って賃金は上がらない(ここも読者諸賢の想像力に任せる)。なぜ不要な労働をするのか? なぜ不要な消費をするのか? 豚のままでいいのか? そんなものはゴジラが焼き尽くしてしまえばいい。焼豚にして食べてしまおう。我々は、ただちに人間にならなければならない。正義がある社会ならば、豚が主役の社会ではなく、人間が主役の社会でなければならない。それも徳の完成された人間でなければならないのだ。

セネカという哲学者はこう言った;

誓って言うが、諸君の人生は、たとえ千年以上続いたとしても、きわめて短いものに縮められるだろう。諸君の悪習に食い尽くされない時代は、一時代もないであろう。実際この人生の期間は、本来流れ去っていくものであっても、理性によって延ばすことはできるが、しかし速やかに諸君を見捨てて行ってしまうことは必死である。なぜならば諸君はこれを掴まえもせず、引き止めもせず、万物のうちで最大の速度をもつ時の流れを遅らせようともしないかわりに、それを無用なもののごとく、また再び得られるもののごとくに、過ぎ去るに任せているからである。(セネカ(茂手木元蔵訳)(1980)『人生の短さについて』(岩波文庫岩波書店、p. 20-21)

 

 あなたが今すぐに人間になりたいのであれば、ただちに休まなければならない。そして暇と退屈に身を任せてみようではないか。