散文を書くときに心がけていること

散文って簡単なようで難しい。言語化すること、相手に誤解なく伝えること、明晰さ―って、考え始めたら埒があかない。僕は速筆家というより断然、遅筆家。大学のレポートも締切間近になって書くほうだし、小学校の夏休みの宿題も、夏休み明け前にやるほう。

 

どっかの経済誌で、夏休みの宿題を早めに終わらせる子は収入が高くなり、直前になってやる子は収入が低くなるという、どっかの米大学が出したやらの記事があったことを思い出す。まあ低俗な記事だけど、わからないこともないよね。

 

閑話休題。この記事では、僕が散文、特にエッセイを書くときにこころがけていること―特に実用性のありそうな、今から使えそうなコツ―を僭越ながら、まとめてみました。散文詩や小説を書く技術ではないので、ご留意を。

ちなみにアカデミアの社会でこういう考察をしようとすると、「先行研究は?」とか色々言われるんですが、ここはブログなので億劫なことは抜きにしていきます。

 

結論からいうと、この3つです。

 

①文法に気を付けよう

②低文脈に書こう

③接続詞を使いこなそう

 

それでは①から解説していきます。

 

文法に気を付けよう

まずはこれ。ホント大事です。間違えると読みにくいし、正確に伝わりません。

ていっても、高名な大学教授様でも文法ミスは有るんです。友人とそういった学者が書いた著作の文法ミスを指摘してはヘラヘラ嘲笑うみたいな遊びをしてたこともありました。ゆえに、文法ミスをすることは人間なら誰でもすることです。

 

 

まず、外国語を書くつもりで日本語を書くことです。そうすれば、文法を間違えることは少なくなるでしょう。

 

文法といっても用言の活用は間違えないんですよ。よく見受けられるのが助詞「へにをは」のミスです。例えば「私はりんごを食べた」という文。これを「私はりんごが食べた」みたいなミスです。一文が短文だとミスは起こりにくいのですが、カントの『純粋理性批判』みたいな長文中心の構成になると、こういう「へにをは」のミスは起こりやすくなりますね。ゆえに一文を短くすることも文法ミスを減らすコツです。

 

低文脈に書こう

まず、「低文脈」とはどういうことか。

https://shukutoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=217&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1

この論文を読んで頂ければわかるかなと。

つまり低文脈とは言語化されてることがコミュニケーションの全てであり、共通認識に頼らず、非言語コミュニケーションにも頼らず、つまり文脈に依存しない言語表現のことを指すのです。

たとえば、「これ、わかってて"当然"だよね?」とか「こんなの暗黙の了解じゃん」とか「なんで言わないとわかんないの!?」とか、そういったコミュニケーションは高文脈に分類されます。そういったことに依存しないのが低文脈、なのです。

文章を他者と共有するために書く以上、他者が分かるように書くというのが大前提(でなければ、なぜ人間は他者に向け文章を書くのか?)です。かつ全ての人間は思想、信条、そして背景が異なっています。ゆえに低文脈に書くように努力するべきなんじゃないかなあ(しまった、「である」から「べき」を導いてしまった…)。

 

接続詞を使いこなそう

接続詞は文章を書く上で非常に便利です。特に便利な接続詞は「そして」「または」「しかし」「逆に」「一方で」「ところで」「したがって」「というのも」「なぜなら」です。これらが使われると硬くはなりますが、人間の思考形式である論理にそった、明晰な文章になるでしょう。

逆に、これらの接続詞があまりが使われてない文章は、清少納言鴨長明のような、日本の伝統的な文学形式である随筆に近くなり、柔らかい文章になるでしょう。事実、彼らが書いた文章にはあまり接続詞が使われていません。

 

以上色々書いてきましたが、こういったコツみたいなのは道具として捉えておくべきです。文章って本当は自由気ままに楽しく書いていいはず。身もふたもないですけど、他者の評価に依らず自分で腹に落ちるようなことが書ければそれでいいんじゃないでしょうか。言語は何千年にもわたって使われて来ました。それくらい言語とは強靭で柔軟です。もっと言語を信頼していきましょう。