池田和久訳(2017)『荘子:全現代語訳・下』80-81頁抜粋

第5章 儒家の聖地魯の国に儒者は1人しかいなかった

 

莊子が魯(孔子の生国)の君主哀公にお目にかかった。哀公が言った。「我が国には孔子の教えを奉ずる儒者は多いが、先生の道を勉強する者はほとんどおりませんな」

莊子、「いいえ、お国には儒者もほとんどおりません」

哀公、「はて、国中がこぞって儒者のユニフォームを身につけているのだよ。どうしてほとんどいないなどといわれるのだね」

莊子、「私の聞いたところでは、『儒者が円い冠を頭に載いているのは天文・歴数に詳しく、四角い靴を履いているのは地理・名物に詳しく、玉飾りのケツを腰に帯びているのはいかなる事情にも果断に対処することの象徴である』とか。けれども、君子たる者、何かある道を修得したとしても、必ずしもそれらしい服に着替えようとは思われませんし、またそれらしい服を着込んだ連中が、必ずしもその道を知っているとは限らないのです。公があくまで違うとお考えになるのでしたら、一つ国中に『儒者の道を修得していないのに、儒者のユニフォームを身に着けている者は死罪に処する』というお布令[ふれ]を出してみてはいかがですか」

そこで、哀公はお布令を出した。5日もすると、魯の国には儒者のユニフォームを着ようという者がいなくなった。さて、ここにたった1人の男がユニフォームを着込んで哀公の宮前の前に立った。哀公が早速呼び入れて魯国の政治について諮問したところ、男はいかなる難題にも融通無碍、縦横無尽に答えてついぞ行き詰まることがない。

莊子がこれを見てつぶやいた。「儒教の聖地、魯の国中を尽くしても、儒者はたった1人だ。多いなんて聞いてあきれるね」